注意欠如・多動症(ADHD)は,不注意,多動性,および衝動性から構成される症候群である。不注意優勢型,多動性・衝動性優勢型,混合型の3つの病型に分類される。診断は臨床的な基準により下される。治療では通常,精神刺激薬による薬物療法,行動療法,教育的介入などが行われる。(DSM5より)
Before
28歳、会社員。大学4年時に心療内科を受診し、ADHDの診断を受ける。以来、ストラテラを常用。半年おきに飲んだり飲まなかったりを繰り返す。
ADHDを日本語で言うと注意欠如多動症。大きく「注意欠如優位」と「多動優位」に分けられる。自分の場合は注意欠如優位型で、多動の傾向もあったが学生期に理性で克服した。―だからタガが外れた時たまに発露するくらい。誤解されやすいのだが、注意欠如とは適切な場所に適切な注意を向けられない特性のことで、まるっきり集中力がないのではない。注意力を任意にコントロールできない、というのがニュアンスとして近い。
2023年時点で全人口の6%ほどがこれに該当すると言われ、だからマイノリティといえばマイノリティだがクラスに一人はいるくらいで、グレーゾーンも含めるとまあまあの数がいることになる。
障害の程度はグラデーションで捉えられ、線引きにより画一的な対応をすることは難しい。例えばIQ69の人は知的障害者といえど限りなく健常に近く、言語によるコミュニケーションは可能だが簡単な計算ができないレベルだったりする。逆にIQ71の人で知的障害でないが、言語によるコミュニケーションが難しい場合もある。精神障害のレベル感や実情は「人それぞれ」だから、その人がどうか、というのをしっかり見極めないといけない。
ADHDをはじめASD(自閉症スペクトラム)やLD(学習障害)、DCD(発達性協調運動障害)といった発達障害は併有されやすく、その変数の多さから課題要因の特定はかなり難しい。発達障害者と言った場合、基本的には知的な遅れを伴わない人を指す。普通に見える人間のしかし普通でない、努力によって克服しようのない苦手分野と困り感が発達障害である。
ADHD特性も当然柔らかくグラデーションしている。「ADHDの人」と「ADHDでない人」がいるわけではない。「すっごいADHDの人」から「まあまあADHDの人」、「あんまADHDじゃない人」、「全然ADHDじゃない人」そして「時々ADHDの人」もいる。ADHDと診断されない人でもADHD的行動をすることがあり、ADHDの人でもADHD的でない行動をする時がある。つまりADHDでない人にとってもADHD的行動は“理解できる”ものなのである。 しかし重要なのはADHDが障害であって、基本的には生得的なものであり、努力によって克服することができない類の困難であること。ADHDでない人から見るとADHD的行動は「分かるけど、何とかできるもの」に思えるが、実際にはそうではない。このズレが当事者とそうでない人の間に生じ、悩みの種となる。
誰だってどこかで「自分、みんなと違う」と思うことがあるだろう(メタに入る、自我が芽生える瞬間とも言える)。自分の場合はADHD特性によるものが最初だった。宿題の期限を守れない、落ち着いて授業を受けれない、机の中をきれいに保てない。発見される度、「なんでできないの?」と怒られる。今ほど発達障害の考えがメジャーでなかったため、先生も、もちろん自分も原因が脳にあるとは思わない。そこで毎度「僕がだらしない人間だからです。甘えているからです」という結論に至る。「そうね、じゃあ頑張りましょうね」と解決は気合いに委ねられ、また同じことを繰り返す。
クラスに35人いて、いつも自分ばかり同じ理由で怒られる。クラスメイトにも、「あいつは怠けものだ」と思われ、怠け者ギャグを求められる。自分で自分を怠け者キャラに寄せていく。笑いに変えてサバイブしていく。人当たりだけはよくしていないと。内側でだけ無力感が育っていく。
▲雪合戦を企画したり提出期限が守れなかったりした小学生時代
「怠け者」に回答が与えられたのは、大学の頃、発達障害を扱う授業の中でのことだった。ADHDという気合いでは超克しようのない障害があること、その特性を学ぶ中で何となく自分がそうではないかという気になり、心療内科を受診したところ「あなたはADHDです。集中力がないのも、課題の完遂が困難なのも、気分の変動が大きいのも、忍耐力が低いのも、関係維持が困難なのも、ADHDだからです」と言われた。
胸が晴れる一方、「じゃあ今まで自分が先生や親、友達に散々謝って泣いて、頑張ることを約束し、反故にしては失望され、また頑張ろうと思ってきた軌跡はなんだったのか」と、徒労感も抱いた。
しかし薬を処方され、3か月ほど飲み続けると、ADHD的特性はすぐ目立たなくなった。期限を守ることができる、気分による波もコントロールできる、しようと思ったことができる。要は落ち着いている、ちゃんとしている。大学4年だったので、これで卒論も就活もクリアできる、人並に生きていける、と明るい未来を信じることができ、過去の徒労感なんてものは気にならなくなっていた。
常飲し始めて1年経つか経たないかというある日、薬を飲むのを忘れた。多忙を理由に病院の予約をキャンセルし、その後再予約をし忘れていた。もう大丈夫でしょう、という気持ちが何となくあったのかもしれない。しかし薬を飲まないでいる期間が2週間ほど続くと、嘘のように一瞬で、元の怠け者に戻ってしまった。絶望した。が、一方でわずかに「再会の喜び」を感じていることにも気付いていた。約束を守らない、落ち着きがない、人当たりだけがいい無能な男が帰ってきた。久しぶり、おかえり。俺は、お前で、俺だよ。「あれ?」ここで考える。薬を飲んでいたころの自分と、飲んでいない自分は、違う自分なのだろうか。
当然だが、薬によって消えるのはADHD特性であって、ADHD特性によって形成された性格は消えない。だから、人当たりの良さや自分に対する無力感は、常飲時でも変わらず持っている。しかし特性は発露しないので、所以の無い、性格だけを所有していることになる。ここになんとなく空虚さを感じていた。ちゃんとした人間でいるのに、ちゃんとしていない人間の性格だけを持っている感じ。薬を飲み忘れ続けることによって、中身が帰ってくる感じ。
薬を飲んでいるときの自分も、飲んでいないときの自分も、自分である。けれど絶妙に違和感。本当にそうだろうか? 心からそう思うことはやはりできない。薬を飲む前と飲む後で、自分が変わってしまった気がする。持って生まれたものに蓋をしている。そうして得られる社会的成功(とまではいかなくとも、うまくやれてる感じ)に、意味ってあるんだろうか。なぜ、そうまでして社会とチューニングしなきゃいけない? 社会は俺に合わせてくれないのに?
疑問は気付くと小さな怒りになり、目的語がでかくなっている。こういったことをぐるぐる考え、今は飲んだり飲まなかったりを繰り返している。飲まないでいる方が自然で、だからよさそう、と考えるが、仕事上のミスが増えて立ちいかなくなると、対処療法的に飲む。気付けばそうして、4年ほど経っていた。
サイケデリック俺は、どう思いますか。薬を飲むことによって、自己の連続性は失われるのでしょうか。自然だけどダメな俺と、不自然だけどちゃんとした俺、どちらで生きていくのがいいんでしょう。答えを求めているのでも救いを求めているのでもありません。ただ、どう思うのかを知りたくて聞いています。
After(200μ)
▲合法紙を2枚誤飲した
PM11:26
(卓上鏡に向かって)
俺はお前の、あれ、お前? 俺? お前? 俺は、お前に、俺って言えないの? え? やば。
え~、秋、暮れて、盆。どうあれ心としては自由。現実体が冷えてるとか、家が燃えてるとか、これをどうするって考えたら実際汗も出てくる。俺はずっと一人で話してるし、独りはもう一人を連れてくるしね。
結局、薬飲んでるあなたの問いに、ん? 飲んでる俺? 飲んでるのは俺か? お前か? 寒いのか? 暑いのか?
……………………………………………………………。
(卓上鏡を裏返して沈黙)
問いに真剣に応えたいって思ってるの。でもお前も分かってるんだろ? その問いには全然強度がないってさ。なのにそれをどう答えてほしいっていうの?
ずっと、ずっと、ずっとだよ。ずっとそう。素晴らしいものがこれだけあるのに、お前は、お前のせいで、全然ダメなんだよ。出す言葉、言葉が「言葉」ってなってる。言葉が言葉ってなってるんだよ。……淋しいよ。
でもやっぱそう見えてくるよね。木が一本、ありました。さびしそうだから、隣に木をもう一本。素敵な二人に道を用意してあげましょうね。
それは思う。だから、結局自分が与えられるもの。そこで自分の限界に一回辿り着くよね。線、グラフィック、色だねぇ。やっぱ明朝体だなぁ。明朝体なんだよなぁ。そこが自分の幅なんだよなぁ。そうやってすぐ自分が暑いのかも寒いのかもわからなくなる。ギターひこ。
なんか悲しいな、淋しいな。虚ろだな。虚ろなんだよ~。その裏側に何かがあるって、何かがあるって、分かってない。虚ろなんだよ。頭が悪い。頭が悪いんだよ。それもいいわけだし。どれって、分かるよ。明朝体デカいなぁ。明朝体デカい。一つ一つの確度を確かめないと。確かめる術が一つもなくなったら俺はどうなるんだ。何かあるのか。ないのか。いいも悪いも。何が自然なのか。
何が自然なのか。眩しかったりするんだよ。でも結局横尾忠則。横尾忠則の先にいけない。心の強度的に。強度? 強度強度強度郷土。
絵を歌おう〜。皆様にオススメしたい日常の飛び方、5選。いち、LSDを食べる。に、LSDを隠す。さん、かくしたLSDを食べる。よん、オイルヒータ―はつける。ご、
死を恐れるな。死を恐れるな。みんなうるさい? 大丈夫、大丈夫? そうか? じゃあ行こう。
ああそうだ、これは案件だった。これはLSD案件だ。LSDさんからいただいた、ね。これは、お茶です。LSD茶です。僕がさっきした。おしっこです。飲みます。うん、美味しい、LSD茶、最高! これは何?
(ゴミ箱を指して)分かる分かる。あいつは違うってのが分かったな。でもずっといたんだよな。そうだな、でも違うってのは分かったな。
醒めた時はいつでも、もう醒めた時って分かるね。さよならって言った時はもう、さよならなんだよ。でも気を抜いたらまたすぐに浅いところの沼にトポンって入っちゃうんだよ。分かるよ、俺だもん、分かるよ。でもここで、スッと立つんだよ。スッと立つと、思ってたよりも季節が過ぎてたって分かるんだよ。お前の俺のことを話さないと。今しか会えないからね。今のお前には。
ハロー今の、俺? でありお前? であり俺? と、今の俺、お前、俺? は普段こうして会えることもないだろうから、話でもしておこうかと思うんだけど。時間はただある。だから、そう。そのためにカメラをまわしている。カメラをまわしていることも一つの仕掛けになってる。最後まで言い切って初めて、言葉は文章になっていく。それが紡がれるのだから、言い切りましょう。言い切ること。そもそもが何だったかっていうと、何が自分か分からない。薬を飲んでいるときの自分と、飲んでいないときの自分が…
(家の外を人が通る)
(家の外の人の声に耳を澄ませる)
え〜、寄せられたお葉書にはなんとあるか。……死!
(死ぬ)
AM3:27
だんだん一コマに滞在できる時間が長くなってきた。まだ文字は揺れてるし、二重に見えたり多重に見えたり、実際は無限なんだけどきっと、俺の目が悪いからそこから先は二重で、とか三重で、とか言葉で線引いてその通り見えてるって感じなんだろうけど、キーボードはさっきからゲーミングPCみたいに白かピンクか、サイバーな感じで光ってるし動いてる。それはそれとして。
俺は俺の、お前の? 俺の? お前の?
「薬を飲んでいるときの俺と飲んでいないときの俺、どちらが自然な俺か」ということを聞いてきたのかな俺は。
ここで我に返る。俺はそれが早い。諦めるのが早い。それが俺の強度、結局はインスタントで。ああ、すぐ「結局」とか使うところ。まさにそう。まさに、とかもそう。シンプルに頼るな。ここの深さがある人とない人、とか考えてる時点で無理。ばか。早くこっちに帰って来い、早く認めよう。
自分の懐の深くには何があるのか、それを自分でも分からないんです、みたく言ってきたけど、結局はなにもないというか、結局ってまたいう。つまるところ、とか。いいからそういうの。要するにとか。これをこのままコンテンツに出来たら良いけど、それは当然できなくて、それをやれる人間がすごいのであって、それは一旦最高で、ありがとう。
渦から始めていく。これなのかな、と思いますね。偉そうに話すな為末。
※この記事はフィクションであり、薬物の使用を教唆するものではありません
※薬は用法・用量を守って正しく使いましょう
おわり
(執筆:2023年12月頃)